【寄稿記事】ゆとりのある生活を、ゆとりのない生活で! by こうじくん。

教育論

今日の寄稿記事は、「こうじくん」からのご寄稿です。

 

こうじくんは、もうすぐ、大学の研究者になるようです。

 

私は、はじめて、こうじくんにお会いした時から、ずっと、「君は大学教授になる運命だ!」と申し上げてきました。

 

そして、私の予言通り(笑)、こうじくんが大学教授になるのは確実です!(微笑)

 

こうじくんは、超「研究肌」です。研究が第一で、いつも勉強ばかりしています。

 

でも、とてもフレンドリーな人で、友人として、お話しするのがものすごく楽しい人です。

 

そんなこうじくんからの寄稿記事です。

 

将来の大学教授のお話に耳を傾けてみましょう!(微笑)

 

 

【寄稿記事】

 

はじめまして.

 

本来であれば,先に、私の自己紹介をすべきところかと思いましたが,今回は自己紹介めいた記事になっておりますので,まずは河野先生と私との関係について記します.

 

私が河野先生と初めてお会いしたのは大学3年生の時でした.

 

厳密には大学1年生の終わりごろから教採塾のTwitterを拝見していましたので,河野先生とのつながりはこれで6年ぐらいになります.

 

今の私の生活について6年前の私に言っても信じないだろうなと思うことは山のようにありますが,河野先生との関連で言うならば,大きく2つあげられます.

 

一つは,教員採用試験対策のバイブルとして毎日拝見していた教採塾のブログに寄稿しているということ.

 

そして,もう一つは,私自身の希望で教職の道を断念したことです.

 

一つ目の「教員採用試験対策のバイブルとして毎日拝見していた教採塾のブログに寄稿している」については,河野先生のブログの,それも,河野先生が執筆されたわけではない記事にまで目を通すぐらいの愛読者の皆様であれば,この気持ちに共感していただける方が多いのではないでしょうか.

 

ちなみに,「自分で,自分のバイブルに,新たな物語を書き加える」ような気持ちです.

 

もう一つの「私自身の希望で教職の道を断念した」については,河野先生のブログの,それも,河野先生が執筆されたわけではない記事にまで目を通すぐらいの愛読者の皆様であれば,この気持ちに実感が沸く方は少ないのではないかなと思います.

 

ですので,本稿では,これについて自己紹介という形式で経緯を書くことにします.

 

もともと,私が教職を志望した理由のほとんどは高校の時の部活動にあります.

 

志望動機を平たく言ってしまえば,「部活がしたいから教員になりたかった」です.

 

専門教科は保健体育で,今では「スポーツ健康科学部」と銘打っている学部に進学をしました.

 

私は大学1年生の4月から教員採用試験対策をしていました.しかし,大学1年生の3月ごろから進路に悩み始め,大学2年生の6月ごろには大学院へ進学したいと考えるようになりました.理由は,どこまで勉強を重ねても教員になるという覚悟ができなかったからです.

 

結果として大学2年生の夏ごろから大学院入試の勉強を始め,大学4年生の10月に志望していた教育系の大学院から合格を頂き(河野先生には英語の試験対策でお世話になりました.ありがとうございました.),大学院生としての幸せな生活が始まりました.

 

とはいえ,相変わらず進路には悩んでいました.私にはやりたいことがたくさんありましたが,それを達成するだけの実力があるようには思えず,この先どうしたら良いのかが,まったく見えてこなかったのです.

 

そのようにして悩んでいたものの,色々と弱っていた時に出会ったとある本がきっかけで「学校の先生ではなく研究者になろう.来年度,博士課程への入学試験を受けよう.」と決断しました.この決意は修士課程1年生の1月だったので,他の博士課程進学者と比べるとちょっと遅めだったと思います.

 

そして今の私は,博士課程の2年生として保健の授業について研究しつつ,高等学校の保健体育科と,大学の教育学部養護教諭コース,そして看護学校で非常勤の教員として勤務しています.

 

どの仕事も私が引き受けるのは申し訳がないぐらいに大切な仕事ですから,せめて自分の全力を注ぐようにと尽力する日々です.

 

そして何より,とても幸せな日々を送らせていただいています.

 

さて,ずいぶんと長い自己紹介になりましたが,最後に私の方から一つだけお願いがあります.

 

どうか,ゆとりのある生活を送ってください.

 

学校に限った話ではありませんが,現場という場では思いもしなかったことがたくさん発生します.

 

むしろ,現場というのはその連続で成り立っているのだと感じるぐらいです.

 

だからこそ,思いもしなかったことを受け入れるだけのゆとりを持てるかどうかが重要だと思います.

 

たとえば,「君の授業,もっとこうしたら?」という突然同僚から頂いた助言を受け入れるゆとりや,「センセー,先週もらったプリントなくしましたー.だから今日の授業ではプリントがありません」という予想していなかった生徒の一言を受け止めるだけのゆとりが現場にて必要とされるゆとりとして考えられます.

 

そして,これらのゆとりは、ないよりかはあった方が良いはずです.

 

私は,現場を現場たらしめていることの一つとして「思いもしなかったこと直面する」ことがあると思います.

 

ですが,それに向き合うためには,思いもしなかったことを受け入れるだけのゆとりを持てているかどうか重要になるはずです.

 

そして,この「思いもしなかったこと」に向き合うということ,「思いもしなかったこと」に向き合い続けられるということ…それが現場の先生の専門性の一つだと思います.

 

私の方からはゆとりを持っていただきたいという旨をお伝えしました.

 

とは言え,私自身がゆとりを持った生活をしているかと言われれば…はっきり言ってゆとりなどないです.

 

ですが,ゆとりを持ちたいという「理想」とゆとりが持てるかどうかという「現実」の関係性というものは,そういうものではないでしょうか.

 

つまり,「現実ではない」から,「理想として掲げる」ことができるのです.

 

私は「ゆとりのある生活」を理想として掲げ,「ゆとりのない生活」という現実で生活しています.

 

皆さんは,どのようなことを理想として掲げ,どのような現実で生活していらっしゃいますか?

 

この問いかけへの答えは,いつかどこかでお会いした時にでもご教示いただければ幸いです.

 

それでは,いつかどこかでお会いできるのを楽しみにしております.

 

 

Contributed by こうじくん。

 

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