想いを固め、言葉を磨くことが、面接の準備の土台です!!

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教員採用試験の面接は、当然ながら、人物試験です。

 

あなたがどういう人なのかを、採用側の面接官が評価し、採用したい人物であるかを判断します。

 

面接は、教員採用試験という試験の一つの「受験科目」のように思えますが、実は、「受験科目」という位置づけではなく、あなたと言う人間を知ってもらい、あなたの教師としての適性・能力・ポテンシャルを採用側に伝える絶好のチャンスだと捉えることが重要です。

 

 

 

 

教採の面接で、最も避けなければならないのは、いわゆる「受験作文」でつくった頭の中の原稿を思い出して語るような、平凡で退屈で幼稚な語りです。

 

 

いくつか具体的な例を書いてみます。

 

 

(1)小学校は、義務教育の最初の段階であり、子供が大きく成長する場なので、小学校教育の大切さを実感し、小学校教師を志望します。

 

 

はっきり言って、0点の語りです。聞く価値も読む価値もない、くだらない愚かな語りです。

 

どこがダメダメかと言うと、まず、小学校教育の当たり前の特徴を並べても、受験者の志望動機にはなりません。小学校が義務教育の最初の段階だなんていうことは、日本国民なら誰でも知っています。いまさら、強調されても何の意味もありません。

 

子供が大きく成長する場は、小学校だけではないですし、そもそも学校は子供が成長する場です。だから、何なの?と聞き返したくなりますよね。

 

そして、極めつけのダメダメは、「小学校教育の大切さ」という表現です。

 

「~の大切さ」とか「~の楽しさ」とか「~の素晴らしさ」という表現は、面接では禁句にすべきです。

 

そんな表現で語っても、何のインパクトもありませんし、聞き手(読み手)の好感や共感を勝ち取ることは、絶対にできません。

 

受験作文の典型例、不合格への片道切符とも言えるのが、「~の大切さ」とか「~の楽しさ」とか「~の素晴らしさ」といった表現です。

 

そして、こういったくだらない表現を多くの教採受験者が使います。そして、面接で不合格になります。愚かなことです。

 

 

そもそも、「コミュニケーションの大切さ」とか「体を動かすことの楽しさ」とか「仲間がいることの素晴らしさ」なんて表現に何も新しい価値も意味もありません。

 

世の中の99%以上の人は、コミュニケーションは大切だと思っているでしょうし、体を動かすことは楽しいと感じるでしょうし、仲間がいることは素晴らしいと考えるでしょう。

 

誰でも思い、感じることを、わざわざ平凡な表現で再現しても、何の意味もありません。

 

確かに学習指導要領(解説)の中には、そういった表現がありますが、あなたは、学習指導要領の文章が感動的だと思いますか?学習指導要領にあるような言葉を日常語として話す人が、子供たちに慕われる教師になると思いますか?

 

 

私は講座では、「~の大切さ」とか「~の楽しさ」とか「~の素晴らしさ」といった言葉を使う人には、徹底的に追加質問をして、徹底的に想いをチェックします。

 

ほとんどの場合、大した想いを持っていないから、そうした言葉を使っています。

 

不合格の前兆とも言えるのが、こうした言葉の使用です。

 

 

(2)今から2年前、私が講師をしていた時に、一人の子どもがいました。その子どもは、休憩時間にいつも一人で遊んでいました。私は、その子に声をかけて、どうして、他の人と一緒に遊ばないのかを聞きました。するとその子供は・・・・・

 

 

典型的な日本人の退屈な語りです。はっきり言って、ダメダメな語りです。

 

このダメダメな語りの特徴は、まずは、状況説明から入るということです。状況説明と事実説明を延々と続けて、その後に、やっと、結論なり、自分が伝えたい想いが出てきます。

 

面接での面接官は、そんなに辛抱強くあなたの話を聞いてはくれません。

 

あなたの語りはじめは、あなたの語りの結論であるべきなのです。

 

例えば、「いじめのサインは、子供への声かけでわかることが多いものです。」という文で始めるというのもその一つでしょう。

 

こうした結論、あるいは、伝えたいことのエッセンスを最初に言ってから、それを説明するために、エピソードについて触れるのであれば構いません。

 

でも、何を言いたいのか、何を言うつもりなのかを最初に明示せずに、延々と状況説明や事実説明をして、その後で自分の言いたいことを言うというのは、少なくとも面接の語りとしては、失敗であり、不合格への近道となります。

 

日本人は、おとぎ話のような、「昔々、あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。おじいさんは山に芝刈りに行き、おばあさんは川に洗濯に行きました。すると、川上から・・・・・」といった状況説明から入る話し方をしがちです。

 

面接のような語りでは、むしろ、「これから話す物語は、桃から生まれた桃太郎が、鬼ヶ島の鬼を退治するという、600年以上、日本で語り継がれてきた感動スペクタクル・ストーリーです。」のように話すべきでしょう(微笑)。

 

もちろん、おとぎ話として、子供に話すときは、日本の伝統的な話し方で構いませんが、面接のような場で、語り(プレゼンとしての語り)として話すときは、結論が最初、テーマが最初であるべきなのです。

 

 

(3)私は、民間企業で10年間勤務しました。この経験を活かして、中学校教師として、子供たちに生きる力を身に付けさせたいと思います。

 

 

この語りもダメダメで、救いようがありません。

 

民間企業での経験があるからといって、その経験を簡単に中学校教育に活かせるものではありません。

 

教採の受験者は、勤務経験であれ、ボランティア経験であれ、留学経験であれ、すぐに、「この経験を活かして」とまとめ上げようとしますが、そう簡単にはいきません。

 

どのような経験がどのように活かせるのかを、説明する責任があります。

 

ただ、経験があって、それを活かして、とオウム返しのように言うのは、あまりにも愚かで、かつ、卑怯な語りです。

 

民間企業の経験が、なぜ、どのように、中学校教育に活かせるのかを説得力をもって説明する必要があるのです。

 

また、企業経験があるからといって、すぐに「この経験を活かして、キャリア教育を・・・」などと言う人がいますが、これもダメダメです。

 

キャリア教育の定義からしても、たかだか、数年くらい一つの会社での勤務経験があるからといって充実したキャリア教育ができるということにはなりません。

 

こういういい加減なことを言う人は、短絡的に、企業経験=キャリア教育、とか、英語学習=グローバル人材、といった風に、安易かつ安直な連想で語りをしてしまいます。

 

面接官からちょっと追加質問や突っ込み質問をされると、一瞬にして崩壊してしまうような語りの論理構成なのです。

 

 

つまりは、想いが固まっていないのです。

 

想いが固まっていないの、受験作文として、ちょっとカッコよさげな言葉を使って語りを作文するから、面接官を説得し、納得させ、好感と共感を勝ち取れる語りができないのです。

 

 

教員採用試験の面接で合格を勝ち取るためには、

 

 

想いを固め、言葉を磨くことがなによりも重要です。

 

 

想いが固まり、その想いを表現する言葉を磨き上げ、そのカタチとなった言葉での語りで、聞き手である面接官を納得させ、好感や共感を勝ち取る必要があるのです。

 

 

多くの教採受験者はこれができていません。

 

そして、教採の面接で不合格になります。

 

不合格になる人の特徴は、「受験作文」しかできていないということです。

 

受験作文とは、教採受験用の、大した想いもない、ちょっとカッコよさげな言葉を並べただけの薄っぺらい語りのことです。

 

そんな語りで、面接で合格するわけがありません。

 

面接官に合格者として選んでもらえるはずもありません。

 

 

想いを固めて、言葉を磨く。

 

 

このことこそ、教採での面接の必勝法です!!

 

 

 

 

では、また明日!!

 

 

 

教採塾

河野正夫

 

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