お正月特別番組の「芸能人格付けチェック」を見ました。
1本100万円のワインと1本5,000円のワインを飲み比べたり、本物のキャビアと偽物のキャビアを食べ比べたりして、どちらが高いものか、どちらが本物かを当てたりするもの。
一杯数万円の越前蟹とカニかまを食べ比べて、どちらが本物かを当てたりするもの。
この番組は毎年、楽しく見ているのですが、実は、この番組のテーマの中には、レトリック的なものというか、言説的なものが多く含まれているのが、とても興味深いのです。
グルメの素人がこの番組を見ると、おそらく、その人は、この番組のテーマは、「美味しいものを当てる」ものだと錯覚するのではないでしょうか。
つまり、美味しいものがわかる人が正解し、美味しいものがわからない人が不正解になると錯覚してしまうのです。
この番組のテーマは、正確に言えば、どちらが美味しいかではなく、どちらの値段が高いか、あるいは、どちらが本物かなのです。
美味しいかどうかは、主観的なものです。
この番組で問われているのは、どちらが美味しいかではなく、どちらが高いか、あるいは、どちらが本物かです。
つまりは、世の中の評価として、どちらが良いものだと言われているかということです。
もっと簡単に説明しましょう。
例えば、私は、1本10万円(一流ホテル価格)のドンペリ・ロゼより、1本5,000円のヴーヴクリコの方が好きですし、ヴーヴクリコの方が美味しいと思います。
しかし、もちろん、ドンペリ・ロゼの方が圧倒的に価格が高いことは知っていますし、目隠しをして飲んでも、どちらがドンペリ・ロゼで、どちらがヴーヴクリコかはわかります。
実は、私は、1人前5万円のA5のフィレ肉のステーキより、1枚3,000円のいきなりステーキのフィレ肉の方が好きですし、美味しいと思います。
しかし、もちろん、5万円のA5のフィレ肉の味はわかりますし、目隠しして食べ比べても、いきなりステーキのフィレ肉と間違えることはありません。
どちらが値段の高いものであるかを見分けることができることと、どちらを自分が美味しいと思うか(どちらが自分は好きか)ということは、全く違うことなのです。
かなりの高収入のはずの芸能人が、こうした番組で、正解しないのは、おそらく、自分が好きだと思う方を選んでいるからではないでしょうか。
自分の味覚と、社会的、あるいは、文化的に規定されている、レトリック的、あるいは、言説的な味覚は違うことに気がつかないと、永遠に正解などはできません。
本物のグルメとは、自分が美味しいと思うものだけを食べ歩くことではなく、多様な文化が多様な観点で価値あるものと認めるものを味わい続けることです。
自分が食べて美味しいものだけが価値あるものと考えてしまうのは、傲慢でもあり、また、無知無教養のそしりを免れ得ません。
文化的、芸術的価値は多様なものです。
その多様性は、文化的レトリックや、芸術的言説に基づいているものです。
この原理は、面接での語りにも応用できます。
自分が好きな話が常に聞き手に好まれるとは限りません。
自分が感動した話が常に聞き手を感動させるとは限りません。
語りの説得力も、多くの場合、社会的なレトリックや、文化的な言説によるところが大きいものです。
自己満足や自己納得だけでは、聞き手の好感・共感・好印象を勝ち取ることはできません。
自分の好き嫌いに関わらず、良い語りとされているものを聞き、読み、触れることは重要です。
自分自身の好き嫌いを持っていることは、自分が楽しい時間を過ごすためには必要です。
しかし、社会的・文化的に高く認められている価値を理解できていることは、世の中で成功していくためには重要です。
素人や似非グルメが、格付けチェックのようなテーマには決して耐えられないように、語りの素人や似非語り手では、人の心を動かす語りは決してできません。
「芸能人格付けチェック」という番組を見ていて、私が指導している面接の語りの指導の方法が間違っていないことを再認識しました。
面接の語りの指導に関して言えば、河野正夫の指導は、GACKTさまの格付けチェックの番組での圧倒的な存在感を彷彿させるものだと、自分では感じています。
ちょっと自画自賛しましたが、本物を見極める眼は、自己満足とは全く違うものであり、社会的・文化的なレトリックや言説に大きく影響されるものだという真実は、学問的にも正しいものだと考えています。
では、また明日!!
河野正夫
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