「選ばれる」とは、教採という選考試験で、ライバルではなく自分が選ばれる・採用されるということです。
この「選ばれる」という視点なしでは、教採合格の戦略は立案できませんし、願書も書けません。面接にも臨めません。
教採を受験する人の多くはいろいろ頑張っています。頑張っているのはいいのですが、自分だけの主観による頑張りなのです。頑張って願書を書いた。頑張って面接の原稿を書いた。頑張って志望動機を書いた。でも、その頑張りは自分の視点での頑張りであって、読み手・聞き手・採用側の視点ではありません。
教採不合格者に決定的に共通するものがあります。
それは、自分が「選ばれる」ためにはどうすればよいかという視点がないということです。
ただ自分なりに頑張るだけの人は、「選ばれる」という視点がありません。そして、この視点がない人は何回教採を受験しても不合格になります。
不合格スパイラルに落ち込む人は、ほとんど全員が「選ばれる」という視点を欠いているのです。
「選ばれる」という視点をもう少し具体的に言うと次のようになります。
他の受験者ではなく自分が選ばれるにはどうしたらよいのか。自分が他の受験者に勝つにはどうすればよいのか。自分の願書は採用側に選んでもらえる内容のものだろうか。自分の面接回答は合格者として選んでもらえるものか。
自分が自分なりに頑張って願書を書いた、自己PRを書いた、模擬授業の練習をした、面接練習をした、ではダメなのです。
自己満足では教採というライバルとの競争には勝てません。
「頑張った」ではなく、「自分はここで他の受験者に勝つ、差を付ける」という視点でなければなりません。
考えてみてください。あなたがデパートにいって買い物をするとします。たとえば素敵なバッグを買うとします。確かにバッグを作る職人さんが頑張ってバッグを作ってくれているというのは前提条件ではありますが、あなたはバッグの作り手の頑張りだけでバッグを選んだりはしません。
このバッグの色が好きとか、このバッグの素材が素敵とか、このバッグのフォルムが気に入ったとか、このバッグの値段はリーズナブルとか、このバッグのブランドが好きとか、選ぶ理由があるはずです。選ぶ理由がないバッグをただ職人さんが頑張ったはずだからと買う人はいません。教採もまったく同じです。
教採の受験者は自分が選ばれる身であるということを自覚する必要があります。
あなた自身に選んでもらえる何かがないのであれば、絶対に選ばれることはありません。
ただ、自分なりに頑張ったではダメなのです。ここのところが理解できない人は不合格スパイラルに落ち込みます。
実は、日本の学校制度で学んだ人は「選ばれる」という経験をほとんどしていません。
確かに成績の上下はあるでしょうし、入試もあります。でも、それは単なる学力の差であり、入試時のいわゆる偏差値の差です。人間として選ばれるか、選ばれないかの要素はほとんどありません。
だから、自分なりにやみくもに頑張って勉強しても学力は上がります。学力が上がればいわゆる偏差値も上がります。そうすれば、より難易度の高い大学の入試をパスすることもできます。でも、就職試験(教採を含む)は高校や大学の入試とは決定的に違います。
就職試験(教採を含む)は、あなたの学力や能力だけを測定しているのではありません。あなたの人間としての魅力を評価しています。一緒に働きたいか、部下として持ちたいかという評価です。
だから、魅力ある人間として選んでもらえるだけの要素が自分になければ、他のより魅力的な受験者に負けます。
「人が人から人として選んでもらう」、これが教員採用試験の正体です。
だから、自分に問い直してみてください。あなたは人として、他の人から、魅力ある人として選んでもらうだけの何かがありますか? 誰にでも必ずあるはずです。でも、それを見つけなければなりません。それを言葉にして表現できなければなりません。それができなければ採用されることはないでしょう。
私は広島教採塾の受講生を指導するときは、単なるやみくもの頑張りはあまり評価しません。もちろん、頑張ること、ベストを尽くすことは素晴らしいことです。でも、素晴らしいということと、ライバルに勝てるということは全く別なのです。
ライバルに勝つとはライバルを蹴落とすことではありません。ライバルと比べた時に、自分を選んでもらう、自分を採用してもらうということです。そして、そのための魅力を表現するということです。私は受講生を指導するときには、その人の持つポテンシャルを探し出し、それを言葉にしてもらいます。
自分の中に他者に勝てるなにかを見つけて、それを戦略的に言葉にする、それが願書を書くことであり、エントリーシートを書くことであり、面接原稿を書くことです。この戦略は単なる文芸ではありません。この戦略は科学です。サイエンスです。綿密な分析と予測によって言葉を紡いでいく必要があります。
私は平凡で抽象的な文章をまったく評価しません。でも、だからと言って、言葉だけを飾ったポエティックな文章もまったく評価しません。そこには科学的な説得術がないからです。コミュニケーションの本質は説得です。相手に自分の期待通りに動いてもらうために語るのです。
相手の心を動かせない、相手を納得させられず、説得できない美辞麗句にコミュニケーション的な価値はありません。だから、言葉を紡ぐときは、常に説得力があるかないかを考えます。説得力とは相手の心を動かす力ですから、分析と予測が必要であり、その上での言葉選びと表現が必要です。
そして、その言葉選びと表現を考える際に重要な視点が「選ばれる」という視点なのです。自分の何をアピールすれば自分が選ばれるのか、どのような言葉で伝えればライバルではなく自分が採用されるのか、それを考えることこそが、面接戦略なのです。
今日のお話のまとめとして、二つだけ質問します。
あなたは選ばれる人ですか?
選ばれるためにあなたは何を語りますか?
では、また明日!!
広島教採塾
河野正夫
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