「自分に都合のいいだけの愚かな情報」とは、例えば、次のようなものです。
「一般教養を全然、勉強していなかった先輩も教採に合格した。」
「2次試験の面接の準備をほとんどしていなかった友人が合格した。」
「小論文は特に上手く書けなくても、合格している人がたくさんいる。」
「クールビズと言われてもスーツで受験すれば合格する。」
教採の準備に自信がない人は、こういう情報を信じたがります。いや、言い換えましょう。信じたがるのではなく、こういう情報を信じると、自分の準備不足からくる不安を少しでも和らげることができるので、あえて信じようとするのです。適応規制でいう合理化のようなものです。
確かに、一般教養を全然、勉強しなかった先輩が合格したのかもしれません。でも、それは、一般教養を勉強しなくても教採に合格するということを意味しません。その先輩が合格したのは、その先輩が、一般教養以外で満点を取ったからかもしれません。あるいは、一般教養は勉強するまでもなく得意だったのかもしれません。面接や集団討論などで驚異的なパフォーマンスをしたのかもしれません。あるいは、合格したのは、ほんの偶然なのかもしれません。
いずれにしても、一般教養を勉強しなくても合格できるということにはなりません。こういう話を信じる人は、自分が一般教養の勉強ができていない。だから、本当はものすごく不安だけれども、なんとかその不安をごまかすために、こんな話を聞きつけて、それを信じることで、自分が一般教養を勉強していないことを正当化します。そして、ほとんどの場合、そんな人は不合格になります。
面接の準備なんて、1次試験が終わってから、ちょこちょこっとすれば合格するなどと言う人もいます。そして、そういう人は、おおむね、不合格になります。確かに、面接の準備をあまりせずに、合格する人もいることはいるでしょう。しかし、そんな人は、もともと語りの力がものすごくあるのです。私の教え子にもいます。面接演習の初日から、わたしが、「君は面接演習なんかしなくても、ぶっちぎりで合格するよ。その語りの力は、素晴らしいね!」という人もいます。
でも、そういう人に限ってもっともっと上手くなりたいので、面接演習を重ねます。語りの下手な人に限って、面接の練習をしなくても合格した人がいるという情報にすがって、自分を正当化します。そして、不合格になります。
小論文の話も同様です。小論文をどう書いたかなんて、本人と採点者にしか分かりませんし、その小論文のコピーがあるわけでもないでしょう。書いた本人が、「大した論文は書かなかったけれど合格したよ。」というのは、おそらく謙遜でしょう。謙遜でなければ、他の受験科目ができていたのでしょう。あるいはまぐれなのかもしれません。でも、小論文が下手でも合格するという法則ができるような情報ではありません、
クールビズの話は秀逸ですよね。身だしなみも教採では重要ですが、採用側がクールビズで来なさいと言っているのですから、クールビズでも構いません。スーツを着ていったからといって、合格する訳ではありません。まあ、それでも、スーツで行くような人は、もともと教採に真剣に取り組んでいるのでしょうから、一般教養も教職教養も面接も上手くやったのでしょう。ならば、合格しますよね。
自分の準備不足をこんな愚かな情報で正当化してはいけません。こんなことを信じて、ちょっとだけ安心するのは、不合格への落とし穴にはまってしまうことです
それより、自分自身に、次のように問い直してください
一般教養は、自分でも満足できるくらいに準備していますか?
面接はすでに準備を始めていて、着実に語りの力が向上していますか?
小論文の執筆練習に力を入れていますか?自分の文章に自信が持てますか?
クールビズでも自分を爽やかにまじめに見せるような着こなしができますか?
上記の質問の答えにひとつでもノーがあるのであれば、くだらない情報を信じることで自分を正当化せず、すべての質問に自信をもってイエスと答えることができるように準備してください。自分を磨いてください。
教採という試験の場で勝負する前に、自分に負けてしまうような人は、教採で合格することはできません。不合格への落とし穴にどっぷりと入り込んだ人です。
確かに、
偶然で合格することはあります。
でも、
不合格には必ず理由があります。
不合格になる理由を自分で作らないようにしてくださいね!!
合格はすぐそこです!!
本気で合格を勝ち取りにいきましょう!!
では、また明日!!
広島教採塾
河野正夫
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